おはよう。どう?7日目の朝を迎えた。今朝は小雨がパラパラ降っている。
雪にはならなそうだが、冬の雨だ、寒い。しかし自宅も会社もホクシンハウスの建物なので外の寒さは感じない、快適空間だ。
一つ、自宅にも会社にもあなたがいない点を除けば。
昨日の看護師さんは「明日から秀子さん、たぶんベッドの上での簡単なリハビリはいると思います。脳の今の状態の判定を担当医師がしていますが、2本入っているチューブの右側の一本は明日、明後日ぐらいで外せられるのではと、思います。また一本残った状態でも軽いリハビリ入ると思います。」と素晴らしい報告をしてくれた。よく頑張ったね。うれしいよ。
日曜日の信毎の「生活雑記」というコーナーに昨春ガンにかかったという66歳の人が「がんにかかって今抱えている思い」を投稿していた。とても上手な文章で、普段の私なら感動してこの文書を受け入れていたかもしれないが、今の秀子を持つ私は、文章に違和感を感じた。
「検査着でとぼとぼ歩く私は、正真正銘のがん患者で、病人なのだと何度も自分に言い聞かせた。、、、、、、、、。手術を受けた。背中を起こしてもらい重湯をすすった。老いさらばえた自分を見るようだった。」とても自分を悲観的にみている。
確かに平常な健康的な時と比較するとそうかもしれない。でもいいではないか。命はある。自分をこんなに冷静に見つめられる自制心もある。何よりこんな上手な文章が書ける。発表する勇気も持ち合わせている。なのに今の自分を否定している。
私は秀子がどんな状態でもOK。悲観はしない。否定もしない。今秀子は私、家族多くの人と一緒にあらん限りのエネルギーを出して生に向かって無意識の中、昨日より今日へと前進している、。それだけでいい。それがすごい、ことだと私は思う。
この方は最後のほうに「人生はくじ引き。あたりを引くか、外れを引くか、自分ではどうにもならない、という本を読み、自分ははずれを引いたなと独りごちたら、告知を受けた時でさえ出なかった涙が、ほろりと頬を伝わった。」と
あった。何でこんな本に影響受けるのだ。
私は違うと思う。断じて違う。人生にあたりも外れもない。与えられた命に向かって自分も周りも必死に燃やし続ける。生まれてどんな形になろうと命ある限り自分も、周りもそれを受け入れ、命あり限り燃やし続ける。それが人生。
秀子一緒に生きよう。周りからとぼとぼに見えようとも、車いすになってしまったの、と言われようと私たち二人は今最高の人生を送っていると言おう。
秀子という存在そのものが私の幸せだから。
2023,1,16 5:26 秀一