小 山 秀 一
お盆休みの8月17日(土)「天気の子」を再び観に行きました。
前回は封切りと同時に行ったので、前列しか席は取れませんでしたが、今回は1時間半前に行ったため、上段の真ん中いい席が取れました。
観客は1回目同様、殆ど小、中、高生。「天気の子」どうして子供たちにこんなに人気があるのだろう。大人にこそ観てほしいアニメですが。
前回観終わって、映画館の売店で文庫本「天気の子」。声の出演者の思いが表現されたカタログ、映画の場面に流れる全曲入ったCDを購入し、文庫本は読み終え、CDは何回も聴きました。そうした準備が整っての2回目の鑑賞なので、一層印象強く、映画に吸い込まれました。
始めにタイトル画として流れる「天気の子」の曲、2時間別世界に誘う魅惑的なリズム。
ラストシーン手前の「大丈夫」の曲は帆高と陽菜がもう揺るがない絆、相手を共に思い合うシーンを強固にする曲。
世界が君の小さな肩に乗っているのが僕だけには見えて、泣き出しそうでいると、「大丈夫?」ってさあ、君に気付いてさ、聞くから「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど、なんでそんなことを言うんだよ。崩れそうなのは君なのに、、、、、、、。
歌詞と画面が一体となり、いつしか70歳の年も忘れ、帆高に陽菜になりきっている涙の自分がいる。そして最後「愛にできることはまだあるかい」が流れると、もう私は100%アニメ映画の世界に入り切っていた。
何も持たず生まれ堕ちた僕、永遠の隙間でのたうち回っている。
諦めた者と賢い者だけが勝者の時代に、どこで息を吸う。
支配者も神も、どこか他人顔、だけど本当は分かっているはず。勇気や希望や絆とかの魔法、使い道もなく、オトナは眼を背ける。それでもあの日の君が今もまだ、僕の正義のど真ん中にいる。
世界が背中を向けても、まだなお、立ち向かう君が、今ここにいる。
愛にできることはまだあるかい。僕にできることはまだあるかい。君がくれた勇気だから、君のために使いたいんだ。君と分け合った愛だから。君とじゃなきゃ意味がないんだ。
愛にできることはまだあるかい。僕にできることはまだあるかい。
こんな歌詞で締め切られるエンディング。
新海監督ありがとう。70のオジンにまだまだ勇気と愛を持って生きろと教えてくれた。